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2012年12月

私とあなたのシアワセノカタチ。

39歳の冬に、ガクガクブルブルしながら扉を開けた、家の近所にある婦人科クリニック。
大通りに面した来院患者用の駐車場だったスペースに、今はマンションが建っている。

1年前、新たに迎えたワンコはお散歩大好きな子に成長し、ルンルンと楽しそうに揺れる黒いシッポと一緒に大通りを歩くと、そのマンションで暮らしている人たちがベランダで洗濯物を干している姿が見えたりする。何もなかった場所に建物が完成し、新たな生活を始めている人がいて。あ〜、なんか時が流れたなー

と、そんなことを端々で感じる、44歳なりたての私。

あのころは、本当に子供が欲しいのかわからなかったし、病院に行くのはとにかく怖かったけれど、なぜかそっちの道に引っ張られていった。
治療終了後から9ヶ月が過ぎて、また冬がやってきた今は、自分たちの子供に会ってみたかったよねっていう気持ちがなくなったわけではないし、病院に行くこと自体ははまったく怖くもなんともないけれど、心はそっちの道には動かない。クリニックを見上げても、懐かしいような、本当に学生時代を思うかのような気持ちになるだけで。
不思議なものだ。自分の未来は自分が選んだ道の先にしかなくて、今できると思うこと、今心が引っ張られる方向に素直に進んで行ったその先で出会ったものが、きっと自分のシアワセノカタチになるんだと思う。

治療していたときのウダウダとした自分が嫌い。モヤモヤとした行き場のない思いがずっしりと重たくて苦しかった。不妊治療なんて大嫌いだった
そう、不妊治療を語るとき、痛くて高いっていう目に見えるもの(注射だとかお金だとか)がクローズアップされるけれど、過ぎ去ってみると肉体的な「痛み」や使ってしまった「お金」、融通がきかなかなくて常に治療に支配されていた「時間」っていう表面的なことは意外と忘れてしまっている。
痛くて高くて忙しいっていう不妊の三大要素は、確かに大きな負担だった。
だけど、本当のしんどさは、その三大要素に振り回されて沸き上がるいろんな想いと向き合うことで。不安だったり、焦りだったり、無力感だったり、そしてパートナーの心。不妊がほかのどんな医療とも違うのは、自分ひとりのことじゃなくて唯一無二の組み合わせだってことだもの。

夫婦の子供を望むこと。プラスの幸せに向かっているはずのに、治療が進むごとに、時間が過ぎていくごとに、心は反比例してどんどんと苦しく重たくなっていくんだってことを知った。夫婦の幸せがそもそものベースにあったはずなのに、夫婦ふたりの時間が幸せだと感じるほどに、より願ったことが叶わない心の穴を意識してしまう日々だった。
だから私は、痛い注射ほど高額だったことや、病院に振り回された日々のことは笑って話せるけれど、勇気を出して踏み出したのに何もできずに周期が終わった日の駅のホームや、判定日の電話の保留音、診察室から聞こえる先生と妊婦さんの楽しそうな笑い声、クリニックに最後に向かった日の長いエスカレーター、母からの手紙を読んでいる夫……、そういう断片的な風景に想いを馳せることはまだまだしんどい。
時間が過ぎれば過ぎるほど、そういうものだけが自分の中で際立つような気もする。

また、今こんなふうにも思う。
夫婦に子供が授かって子育てをするということ。自分自身も子供だったことを思えば、それ自体はごくごくありふれたことで、大多数にとっての当たり前の出来事だったとしても、私にとっては奇跡だった。
同じように、私が当たり前のように手にしているごくごくありふれた何かが、誰かにとっては奇跡のようなことかもしれないと。

私に与えられたものは、夫婦2人の存分な時間だったと言われれば、それはそれでなかなか贅沢なものだなと思うこのごろ。
願いごとが叶わなかったことは残念だったけれど、今、心に居座っていた重たいものがいなくなり、夫婦2人だから見られる景色を探して歩いているよ。

「妊娠が奇跡なら、人との出会いも奇跡。あなたと出会えたことが私にとっての奇跡だった」と、言ってくれた人がいる。
それは私にとっても不妊ライフ最大の奇跡だった。
自分の子供じゃなくて、この出会いのために不妊治療に引っ張られていったんなら、それも納得だねって思えるほどに。
不妊治療は、「神の領域に人間が手を…」とか、言われたりするけれど、それはできないのよ。どんな状況だって命として世に産まれる運命のものは産まれるし、特にヘヴィーな原因がなくても、若かったとしても、こんなに高度な治療をもってしても、なぜか妊娠出産に至らないこともある。
最新医療の力でどれだけ近づけたとしても、最後の最後は本当に「神の領域」なんだな。
だから、不妊治療で子供を授かった方は、必然の出会いだったと自信を持って!出会わなかった私が言う(笑)。出会いに「無理矢理」は、ない!人と人との出会いなんて、「あのときこうだったら……」っていうちょっとした偶然の連続だもの。たくさんの出会いの中から、夫となる人を自分で選んで、そして今に至るわけだから、人生なんて分かれ道の連続よ!
今、目の前にあるもの、それは全部偶然じゃなくて「必然」です。
治療をするかしないかは自分で決めることができるけれど、その結果どうなるのかは自分で決められない……つまり神様が決めてくれる。もどかしかった。だけど、どんなに攻めても最後は受け身ならできるだけ肩の力を抜いてさ、目の前のことを大切にできたらいいよね。
私は私で、不妊治療のおかげで出会った奇跡を、オバサンからおばあさんになるまで大事に大事にしたいです。ありがとう、不妊治療。

最後の今年の漢字一文字は「続」。それでも人生は続くのよ。
目の前にあるものを大切に思うことを荒療治で教えてくれた、不妊治療、大嫌いだけど恨んでないわ でも来世では会いたくないからね。

長い間、「シアワセノカタチ」に足を運んでくださってありがとうございました。
そして私個人の治療にも関わらず、心に留めていろんな言葉をかけてくださってありがとうございました。励ましや温かい言葉のみならず辛辣な言葉も含めて、ルミコを思いルミコのために時間を割いてくださったことに感謝しています。

さようなら。みんなに幸アレ ルミコ

Lumico_3  

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